「多摩(たま)」の語源は?「田間(たま)」説と「霊(たま)」説——東京西部の地名の由来
「多摩(たま)」の語源——二つの有力説
「多摩(たま)」の語源には複数の説があります。有力な説の一つが「田間(たま)=田(た)の間(ま)=田んぼが広がる間(あいだ)の土地」という解釈です。多摩川流域は古代から水田耕作が盛んな肥沃な土地で、その地形的特徴が「たま」という音のもとになったとされます。もう一つの有力説は「霊(たま)=神聖な力・精霊」に由来するというもので、多摩川や多摩丘陵の自然が「霊(たま)の宿る神聖な場所」として認識されていたことに結びつきます。どちらの説も決定的な証拠があるわけではなく、地名の古さゆえに諸説が並立している状態です。
「多摩川(たまがわ)」と暮らしを支えた清流
多摩川は山梨県笠取山を源流とし、東京都・神奈川県を流れて東京湾に注ぐ全長約138kmの川です。東京都と神奈川県の境界として機能しており、右岸(東京側)と左岸(神奈川側)で行政区分が分かれています。多摩川の鮎やカジカは古代から珍重された清流の産物で、清らかな水は江戸城・江戸市街への供給源としても使われました。近代になると河原の砂利が建設ラッシュで大量に採取され、川底が深くなるといった環境上の課題も生まれています。
江戸を潤した「玉川上水(たまがわじょうすい)」
玉川上水は1653年(承応2年)、多摩川上流から取水して江戸市街まで約43kmを引いた人工水路です。玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が工事を請け負い、わずか8か月で完成させたと伝わっており、江戸時代の土木技術の高さを示す事例として語られます。現在も東京都水道局が管理する現役の用水路の区間があり、東京の給水インフラの歴史的基盤として機能し続けています。太宰治が入水した場所としても文学史に登場する、江戸から現代へと続く水の道です。
東京23区の外に広がる「多摩地域」
「多摩地域」は東京都のうち特別区(東京23区)と島しょ部を除いた西部・北西部を指す言葉です。八王子市・立川市・武蔵野市・三鷹市・府中市・町田市など多くの市町村を含み、東京都全体の半分近い面積を占めるとされます。この名称は旧・武蔵国の多摩郡に由来し、明治以降の行政区分の変遷を経て現代の「多摩地域」という括りに至りました。
多摩ニュータウンと「多摩市」の誕生
多摩市は1971年(昭和46年)、南多摩郡多摩町が市制施行して誕生した市で、多摩ニュータウンの一部を含むことで知られています。多摩ニュータウンは1960〜70年代の高度経済成長期に、東京の住宅不足解消と大規模な郊外住宅地開発を目的として計画された、日本有数の規模を持つニュータウンです。多摩センター駅を中心にショッピングモールや公園、計画的な街路が整備された一方、近年は高齢化や空き家問題といった「ニュータウンの老い」も課題として指摘されています。
「多摩丘陵」に残る自然と歴史
多摩丘陵は多摩市・稲城市・八王子市南部から神奈川県川崎市・横浜市北部にかけて広がる丘陵地帯で、多摩ニュータウンやよみうりランドなどが立地しています。関東ローム層に覆われたこの丘陵は縄文時代から人が住んでいた歴史ある土地でもあり、雑木林や谷戸地形が今も残ることから、東京近郊の貴重な自然緑地として保全の重要性が語られています。
「多摩」と「玉」——万葉仮名に見る地名の古層
「多摩(たま)」という漢字表記は、「多(た)+摩(ま)」という音を表すための当て字と考えられています。「玉(たま)」という「宝石・美しいもの・霊的なもの」を意味する語の音を漢字で写したものが「多摩」であるという見方で、「玉川=玉のような美しい川」という語感と行政上の「多摩川」表記が並行して使われてきた背景がここにあります。奈良時代の万葉集には「多摩の横山」という歌枕(和歌に詠まれる定番の地名)が登場し、「多摩」が東国を代表する地名として1300年以上前から文学に現れていたことがわかります。
多摩川流域に眠る古代の記憶
多摩川沿いには多摩川台古墳群や野毛大塚古墳など、数多くの古墳が残っています。古墳時代(3〜7世紀)の多摩川流域は「武蔵国」の政治的・文化的中心地の一つだったとされ、豊かな水と肥沃な土地、交通の要衝という条件が古代の人々を惹きつけたと考えられます。多摩地域の古墳や縄文・弥生の遺跡は「東京の地下に眠る古代史」として、今も発掘調査が続けられています。
東京西部を象徴する「多摩」という名
多摩市・多摩川・多摩区(川崎市)・多摩ニュータウン・多摩動物公園・多摩美術大学・多摩都市モノレールなど、「多摩」を冠する地名や施設名は東京西部を中心に数多くあります。中でも「多摩美術大学(通称・多摩美)」は日本有数の美術大学として知られ、「多摩」という地名が芸術・文化・自然のイメージとともに現代に根づいていることを示しています。田んぼの広がる土地とも、霊の宿る神聖な地とも語られる「多摩」は、万葉集の時代から現代のニュータウンまでを貫く、東京西部の歴史を映す名前です。