「鏡餅(かがみもち)」の語源は?〜昔の鏡に見立てた餅と、三種の神器の言い伝え


「鏡餅」という言葉の起源

正月に飾る丸い餅を「鏡餅」と呼ぶのは、その形が昔の鏡に似ていることに由来するとされている。ただし単に「丸いから鏡」というだけでなく、当時の鏡が持っていた特別な意味合いや、餅と鏡の呼び方が歴史の中で入れ替わったという説もあり、一筋縄では語れない由来を持つ言葉である。

語源説①:青銅製の丸い鏡に見立てたという説

現在私たちが使うガラス製の鏡と違い、古代から中世にかけての鏡は、青銅を磨いて作った円形の「銅鏡」だった。鏡餅という名前は、この銅鏡の丸く平らな形に、平たく丸めた餅の姿を重ねたことに由来すると考えられている。銅鏡は神事の道具として扱われることも多く、単なる日用品ではなく特別な品として意識されていたことが、餅にその名を借りる背景になったとみられている。

語源説②:「餅鏡」から「鏡餅」へ入れ替わったという説

鏡餅にあたる餅そのものは平安時代にはすでに存在していたとされるが、当時は「鏡餅」ではなく「餅鏡(もちいかがみ)」という語順で呼ばれていたという指摘もある。時代が下るにつれて「餅」と「鏡」の語順が入れ替わり、現在使われている「鏡餅」という形に定着していったと考えられている。呼び方の前後が入れ替わる現象は他の言葉にも見られ、言葉が長い年月の中でどのように形を変えていくかを示す一例といえる。

なぜ「鏡」が神聖な道具とされたのか

古代の銅鏡は、日の光を反射して輝くことから、太陽を思わせる神聖な道具として扱われてきた。姿を映すという実用的な機能以上に、神事や祭祀の場で使われる特別な宝物として位置づけられており、この世とあの世をつなぐような、目に見えないものと向き合う道具ともみなされていたという。正月に供える餅にわざわざ「鏡」の名を与えたのも、単なる形の類似だけでなく、鏡そのものが持っていた神聖なイメージを重ね合わせたためだと考えられている。

三種の神器に見立てた鏡餅の飾り

鏡餅の由来を語るうえでよく挙げられるのが、皇室に伝わる三種の神器との関わりである。丸い餅を、天照大神ゆかりの宝物とされる「八咫鏡(やたのかがみ)」に見立て、餅の上に飾る橙を「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」に、地方によっては添えられる串柿を「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」になぞらえているという説が伝えられている。三種の神器そのものを模したと断定できる史料があるわけではないが、鏡餅の飾り一つひとつに意味を見出そうとする発想の背景として、古くから語り継がれてきた見立てである。

平安時代から続く鏡餅の歴史

神仏に餅を供えるという習わし自体は、平安時代の法典『延喜式』にもすでに記録が見られるほど古い。鏡餅の原型にあたる「餅鏡」を正月に供える風習も平安時代にはあったと伝えられており、『源氏物語』にも関連する記述があるとされる。ただし現在のように床の間へ鏡餅を飾るという形式が広まったのは、床の間という空間そのものが普及した室町時代以降のことだとされている。

大小の餅を重ねることに込められた意味

鏡餅といえば、大小二つの丸い餅を重ねた姿を思い浮かべる人が多いだろう。この重ね方には、大きい餅と小さい餅をそれぞれ太陽と月、あるいは陰と陽に見立てて調和を表しているという説や、めでたいことが重なるようにという願いを込めた「福を重ねる」の意味を読み取る説など、複数の解釈が伝えられている。地域によっては二段ではなく三段に重ねたり、紅白の餅を使ったりする風習もあり、重ね方一つにも土地ごとの違いが表れている。

「鏡開き」という言葉に込められた武家の願い

正月に供えた鏡餅を下げて食べる行事は「鏡開き」と呼ばれるが、この行事はもともと武家社会で行われていた「具足開き」に由来するとされている。具足、つまり鎧や兜に供えた餅を松の内が明けたあとに下げて食べ、無病息災や武運長久を願ったのが始まりだという。当初は1月20日に行われていたが、江戸幕府3代将軍・徳川家光の月命日と重なることを避け、1月11日に改められたという言い伝えも残っている。また、刃物で「切る」ことが切腹を連想させる忌み言葉とされたため、餅は木槌などで割り、その動作も「割る」ではなく縁起の良い「開く」という言葉に置き換えられたと伝えられている。

鏡餅が現代に伝えるもの

「鏡餅」という言葉には、古代の銅鏡が持っていた神聖さへの畏敬と、餅と鏡という呼び方が長い時間の中で入れ替わっていった言葉の変遷、そして武家社会が育んだ縁起を担ぐ作法までが幾重にも重なっている。今では実家や職場に飾られたパック入りの鏡餅を見慣れている人も多いが、その丸い形の奥には、鏡を神聖視した古代の人々の感覚が今もかすかに息づいている。