「焼き芋」の語源とサツマイモの旅――江戸の「十三里」はなぜ栗より旨い?
「焼き芋」は直球の合成語
「焼き芋」の語源は至ってシンプルで、動詞「焼く」の連用形「焼き」と名詞「芋(いも)」を合わせた合成語です。「煮豆」「炒り卵」「蒸しご飯」と同じ構造で、調理法と食材をそのまま組み合わせた名前です。深い謎はないものの、この「芋」が何を指すかには歴史があります。
「芋」はもともとサトイモのことだった
日本で古くから「芋(いも)」といえば主にサトイモを指していました。『万葉集』に登場する「宇毛(ウモ)」はサトイモのこととされ、日本へは縄文時代後期に伝わったと考えられています。今も秋の東北で行われる「芋煮会」ではサトイモの鍋が作られ、正月の雑煮やおせち料理にも縁起物として使われます。サツマイモが「芋」の代名詞になるのは、江戸時代に救荒作物として普及して以降のことです。
サツマイモは17世紀初めに琉球経由で伝来
サツマイモの原産地は、メキシコ中央部からグアテマラにかけての中央アメリカとする説が有力です。コロンブスの新大陸到達をきっかけにヨーロッパへ伝わり、スペイン植民地時代にはマニラ・ガレオンでフィリピンへ持ち込まれました。16世紀後半に中国の福建へ伝わり、福建から琉球へは1605年に導入されたとされます。琉球が薩摩の支配下に入った1609年以降は両地の往来が盛んになり、17世紀初めごろに薩摩へ伝わりました(伝来年には諸説あります)。「薩摩芋」という名は、薩摩から来た芋という意味で、琉球から薩摩を経て各地へ広まったことを示しています。
「琉球芋」「唐芋」――呼び名に残る伝来の跡
サツマイモには「薩摩芋」以外の呼び名もあります。薩摩では、琉球から来た芋として当初「琉球芋(りゅうきゅういも)」と呼ばれました。南九州では今も「唐芋(からいも)」が通用しています。この「唐」は中国だけでなく、海の向こうの外国全般を指す言葉で、「外国から来た芋」という意味です。一方、江戸の町を中心に庶民の間へ広まった「薩摩芋」が、現在では国内で広く使われる呼び名になりました。琉球・唐・薩摩と、どこから来た芋と受け止められたかが、それぞれの呼び名に残っています。
青木昆陽が飢饉対策としてサツマイモの普及に取り組んだ
江戸時代の中期、享保の大飢饉(1732年)を受けて、幕府に仕えた儒学者**青木昆陽(あおきこんよう)**が、8代将軍徳川吉宗の命でサツマイモの試作と普及に取り組みました。1735年に栽培法を説いた『蕃薯考(ばんしょこう)』を著し、「甘藷先生」とも呼ばれた昆陽の働きによって、サツマイモの栽培は関東を中心に全国へ広まったとされます。
江戸時代に「焼き芋屋」が登場
サツマイモが庶民に普及すると、江戸では焼き芋が冬の人気の食べ物になりました。寛政5年(1793年)に本郷四丁目の木戸番が、木戸番屋(町の出入口にあった番人の詰め所)で焼き芋を売り出したのが始まりとされます。当時の焼き芋は、かまどに載せた焙烙(ほうろく)にサツマイモを並べて焼くもので、のちに鋳物の浅い平鍋に木の蓋をして蒸し焼きにする方式へ移りました。江戸後期は砂糖が貴重品で、甘くて安い焼き芋は老若男女、貧富を問わず人気を集め、明治33年(1900年)には東京府内に1,400軒以上の焼き芋屋があったとされます。
「十三里」という不思議な別名
江戸時代、焼き芋には**「十三里(じゅうさんり)」**という洒落た別名がありました。焼き芋屋の看板には、はじめ「栗(九里)に近い味」という意味で「八里半」と書かれ、のちに「栗より(四里)うまい」という意味で「十三里」と書く看板が増えたと記録されています。九里+四里=十三里。栗よりおいしいサツマイモ、という自信に満ちた売り文句です。別の説として、名産地の川越が江戸から十三里(約52km)の距離にあるとされたことにかけた、ともいわれます。
川越と馬加が江戸の焼き芋を支えた
焼き芋の原料になるサツマイモは重くてかさばるため、船で運べる産地が有利でした。江戸の焼き芋を支えたのは、下総国の馬加村(現在の千葉県幕張)と、武蔵野台地の川越藩領という二大産地です。川越では1751年にサツマイモの栽培が始まり、江戸と新河岸川で結ばれていたことから、船での出荷に向いていました。寛政時代(1700年代末)に江戸で焼き芋が大流行すると、川越いもは質が良く最高級品とされ、当時の焼き芋屋は「栗より(四里)うまい十三里」と看板に書いて売っていました。「川越いも」の名は、現在も地域の名産品として受け継がれています。
石焼き芋は戦後に生まれた焼き方
熱した石の上でじっくり焼く「石焼き芋」は、江戸時代ではなく戦後に登場した焼き方です。終戦後の1950年にサツマイモが統制の対象外になると、リヤカーに鉄製の箱型釜と石を載せて移動販売する石焼き芋が、東京の向島で登場しました。農畜産業振興機構の資料には、1951年に三野輪万蔵(みのわまんぞう)が考案した「引き売り屋台」が東京に登場したとあり、登場年には1年の差があります。江戸の焼き芋が、かまどの上の平鍋で蒸し焼きにするものだったのとは、焼き方そのものが異なります。
焼き芋の甘みは、サツマイモに含まれるデンプンが酵素(β-アミラーゼ)の働きで分解されてできる麦芽糖(マルトース)が主な源です。この酵素が働けるのは、デンプンが糊化する70℃付近の狭い温度帯で、その温度で長く加熱できる石焼き芋などでは甘みがよく引き出されます。
品種改良で「焼き芋」の概念が変わった
現代の焼き芋は品種によって味が大きく変わります。サツマイモの食感は、粉質の「ホクホク系」、粘質の「ねっとり系」、その中間の「しっとり系」に分けられます。従来のホクホク系に加えて、2003年ごろから種子島の「安納芋」の甘さが注目され、2007年に育成された「紅はるか」は、しっとり・ねっとり系の甘い品種として急速に普及し、2015年には人気品種のトップに躍り出ました。2004年には東京・銀座三越に焼きいも専門店が出店するなど、江戸時代から続く食文化が新たな進化を遂げています。
「焼いた芋」というそのままの名前の裏に、大航海時代の伝来ルート、江戸の飢饉対策、そして庶民文化の洒落心が詰まっています。冬に焼き芋を食べるとき、その一本に込められた長い旅を思い浮かべてみてください。