「練馬」の語源は?大根の名産地が生んだ東京の地名の由来
「練馬」の語源諸説
「練馬(ねりま)」の語源については複数の説があります。最も有力とされるのは「根占め(ねじめ→ねりま)」という説で、大根などの根野菜の根が占める土地という意味だとされます。もう一つの有力説は「根場(ねば)」から転じたというもので、粘り気のある土地・粘土質の土地という意味です。いずれも農業と結びついた語源とされており、練馬がかつて野菜の産地だったこととよく符合しています。
武蔵国豊島郡の古い地名として
「練馬」という地名は、武蔵国豊島郡(むさしのくにとしまごおり)に属する古い地名です。中世の文書には「練馬郷」という記述が現れ、江戸時代には「練馬村」として知られていました。明治時代に東京府へ編入された後、昭和7年(1932年)に一度板橋区へ合併され、昭和22年(1947年)に板橋区から分離するかたちで現在の練馬区が成立しています。
江戸を支えた練馬大根の名声
練馬を代表するブランド野菜「練馬大根」は、江戸時代から広く知られていました。細長く先が尖った形が特徴で、沢庵漬けに最適な品種とされ、江戸近郊の農村だった練馬は大根の一大産地として栄えました。5代将軍徳川綱吉の時代に栽培が奨励されたという記録も伝わっており、最盛期には武蔵野台地一帯で広く作られていましたが、都市化の進行とともに生産量は大きく減少しています。
沢庵漬けとの深いつながり
練馬大根の最大の用途が沢庵漬けです。沢庵漬けという名は江戸時代の僧・沢庵宗彭に由来するという説がありますが、練馬大根が沢庵漬けの材料として最適だったことから、練馬は沢庵漬けの産地としても知られるようになりました。干した大根を米糠と塩で漬け込む沢庵漬けは、江戸時代の保存食として庶民の食卓に広く根づいていきました。
23区で最大の人口を抱える区へ
現代の練馬区は、東京23区の中で最大の人口を抱える区です。約74万人が居住し、面積も23区の中では比較的広い約48平方キロメートルにおよびます。ファミリー向けの住宅街というイメージが強く、農地だった土地が戦後急速に宅地化されていった、東京近郊に典型的な発展のパターンをたどってきた街です。
あて字とみられる「馬」の一字
「練馬」は「練(ねり)」と「馬(ま)」という漢字で書かれますが、語源の説から見ると「馬」はあて字である可能性が指摘されています。「根占め」や「根場」という語源説に従えば、「馬」は意味ではなく音だけを借りて当てられた字だと考えられます。地名の漢字表記は発音が先に存在し、後から漢字が当てられるケースが多く、練馬もその一例とみられています。
石神井・光が丘に残る地名の物語
練馬区内には練馬以外にも興味深い地名が残っています。「光が丘」はかつて米軍の住宅地だった土地が返還後に造成された、比較的新しい地名です。「石神井」は「石神(いわがみ)の井(い)」、つまり神聖な石のある泉を意味する古い地名とされ、石神井公園を流れる石神井川の名も、ここから受け継がれています。
アニメ産業が集まった街としての練馬
練馬区はアニメーション産業と縁の深い地域でもあります。日本初の国産テレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」を制作した虫プロダクションが練馬区に拠点を置いていたことをきっかけに、多くのアニメスタジオが集積していきました。比較的リーズナブルな家賃と地価に加え、都心へのアクセスの良さが背景にあったとされ、現在も大手スタジオが練馬区に本社を置いています。
鉄道が導いた近代化と、今も残る大根の記憶
練馬区の発展には、西武池袋線をはじめとする鉄道網の整備が大きく貢献しました。池袋まで10分から15分というアクセスの良さが住宅地としての需要を高め、西武鉄道が農地を買収しながら沿線を開発していくことで、練馬の近代化が進んでいきました。都市化によって大幅に減少した練馬大根の栽培も、現在は地域の農家や農業体験施設で細々と続けられており、練馬大根まつりや学校農園といった取り組みを通じて、地名の由来にもなった農業の記憶が今なお受け継がれています。