「平塚(ひらつか)」の語源は?平らな塚という地名の由来と伝説
平塚市はどこにある?
平塚(ひらつか)は神奈川県の相模湾沿いに位置する市で、人口約25万人の相模の国(相模国)の中心的な都市です。JR東海道線・東海道新幹線(小田原から分岐)の沿線で、横浜から約40分の距離にあります。七夕まつり(毎年7月)で全国的に知られており、仙台・狭山(安城)と並ぶ日本三大七夕のひとつに数えられます。相模川下流域に発展した工業・商業都市で、日産自動車・富士フイルムなどの工場も立地しています。
「平塚」は「平らな塚」が語源
「平塚(ひらつか)」の語源は、文字通り「平ら(ひら)な塚(つか)」にあります。「塚(つか)」は「土を盛った小丘・古墳・墓」などを指す語で、日本各地に「〜塚」という地名が多くあります。平塚という地名の由来として、「地面が平らに盛り上がった形の塚(古墳)があった」ことから命名されたとされています。現在の平塚市の中心部、八幡山(はちまんやま)周辺に「平塚古墳」があったとされ、これが地名の起源とも言われます。
「相模の女王」と平塚塚の伝説
平塚の地名にはもう一つの有名な伝説があります。平安時代の武将・平良将(たいらのよしまさ)の娘が相模国(神奈川県)の土豪に攻められて亡くなり、その墓として「平らな塚」が築かれたとする伝説です。この塚は「姫の塚」「平将門の娘の墓」などとも呼ばれますが、確実な史料はなく、民間伝承としての性格が強いとされます。ただし地名と結びついた物語として地元に語り継がれてきた伝説です。
東海道の宿場町・平塚宿
平塚は江戸時代、東海道の宿場町「平塚宿(ひらつかしゅく)」として機能しました。江戸から数えて7番目の宿場で、藤沢宿の次に位置します。相模川を渡る手前の宿場として、旅人の往来が盛んでした。「馬入の渡し(うまいりのわたし)」と呼ばれた相模川の渡し船は、東海道を往来する旅人・参勤交代の大名行列にとって重要な交通拠点でした。
平塚七夕まつりの歴史
平塚の七夕まつりは1950年(昭和25年)に始まり、現在では毎年7月に約100万人以上が訪れる大規模な祭りになっています。商店街に飾られる豪華な吹き流しや飾りが名物で、仙台の七夕まつりとともに関東を代表する七夕行事です。七夕(たなばた・7月7日)は織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)が天の川を挟んで年に一度会えるという中国伝来の伝説に基づく行事で、奈良時代に日本に伝わり現代に至ります。
相模川と平塚の地形
平塚市内を流れる相模川(さがみがわ)は、山梨県の相模湖・津久井湖から流れ下り平塚で相模湾に注ぎます。古来から相模川は農業用水・交通路・漁業の場として利用され、平塚はその河口付近の中心地として栄えました。「塚(つか)」という地名要素は、相模川の氾濫によって形成された自然堤防や土盛りを指すという説もあり、「平らな自然堤防の地」という解釈も地理的に説得力があります。
「塚」のつく地名について
「塚(つか)」は全国に非常に多い地名要素です。「中山塚」「亀塚」「向塚」など各地に見られ、古墳・古代の埋葬跡・土地の小丘などに由来します。「塚(つか)」という語はまた、「三つ塚」「一本塚」のように目立つ地形のランドマークとして使われました。「平塚」は「高くない・平らな塚」というやや地味な形容詞がついた地名ですが、これが逆に「土地が平坦で農業・居住に適した場所の目印の塚」という実用的な意味を持っていたと考えられます。
地名に残る古代の景観
「平塚」という地名は、現代では工業都市・七夕の街というイメージが強い都市ですが、その名前には古代の土盛り・古墳という地形の記憶が残っています。相模川沿いの平らな土地に築かれた「平らな塚」が語源とされるこの地名は、文字通り「土地の形」から生まれた日本の地名の典型例です。地名を読み解くことで、その土地の古代の姿を想像できる——平塚という名前もそのような地名の面白さを持っています。