「麻布(あざぶ)」の地名の由来は?港区の歴史と語源の雑学10選
1. 「麻布」の語源は「麻の布」説が有力
「麻布(あざぶ)」の語源として広く知られるのが、麻を栽培し布を織っていた土地に由来するという説です。古代から中世にかけて、現在の麻布周辺では麻の栽培が行われており、麻布(あさぬの)の産地であったことから「あさぬの」→「あさぶ」→「あざぶ」と転じたという解釈です。麻布という漢字がそのまま植物と織物を指す語であることから、この説は直感的にわかりやすく広まっています。
2. 「阿左布」という古い地名表記
室町時代から江戸時代初期の文献には、「麻布」ではなく**「阿左布(あざぶ)」という万葉仮名的な表記**が確認されています。この「阿左布」という音をもとに、後から「麻布」という字が当てられた可能性が指摘されています。音が先にあり漢字は後付けであるとすれば、「麻の布」という語義は後付けの解釈にすぎないという見方もできます。
3. 「あざぶ」は崖地の地形を指すという説
地形に着目した説として、「あざ(崖・段差)」+「ぶ(場所を示す接尾語)」という解釈もあります。現在の麻布周辺は武蔵野台地の東端にあたり、急峻な崖や坂道が多い地形です。麻布十番・六本木・広尾にかけてのエリアは起伏が激しく、「崖の多い土地」を意味する地形語に由来するという説には一定の説得力があります。
4. 江戸時代の麻布は武家屋敷と寺社の町
江戸時代、麻布は大名・旗本の屋敷が集中する武家地でした。江戸城の外縁部にあたる麻布には、松平家をはじめとする諸大名の中屋敷・下屋敷が並び、寺社も多く立地していました。現在の麻布十番・元麻布・西麻布のあたりが武家地・寺社地として区画されており、庶民の町人地は比較的少ない地域でした。
5. 麻布十番の「十番」の由来
麻布の中でも特に知られる**「麻布十番(あざぶじゅうばん)」**の「十番」の語源は、江戸時代に古川(現在の古川)の改修工事を担当した請負組が「十番組」であったことに由来するという説が有力です。河川改修工事の際に番号で管理された組(工事区画)のうち十番が担当したエリアが「十番河岸」と呼ばれ、それが地名として定着したとされています。
6. 明治以降の外国公館の集中
明治時代になると、麻布には各国の外国公館(大使館・公使館)が集中するようになりました。現在もアメリカ大使館(港区赤坂)、各国大使館が麻布・元麻布・南麻布周辺に多く立地しています。外国人居留地としての歴史を持つ横浜と異なり、麻布は明治政府が外交的に整備した「公館街」として発展しました。
7. 六本木との地理的関係
現在の六本木(ろっぽんぎ)は麻布地区に隣接しており、かつては麻布の一部として扱われていた時期もあります。「六本木」の名は六本の大木があったという説や、六家の大名(青木・一柳・上杉・片桐・朽木・高木)の屋敷が集まったことに由来するという説など諸説あります。地名としての「麻布」と「六本木」は行政区分上は異なりますが、地域文化として一体感を持って語られることが多い地域です。
8. 広尾との関係
麻布の南側に広がる**「広尾(ひろお)」は、麻布地区と歴史的につながりの深い地名です。「広尾」の語源は「広い野(の)」が「ひろの」→「ひろお」と転じた**という説が有力で、かつては広大な野原が広がっていたとされます。現在は高級住宅街・外国人居住者が多いエリアとして知られており、麻布との連続する高台の地形と閑静な雰囲気を共有しています。
9. 「麻布区」から「港区」へ
東京の行政区分として**「麻布区(あざぶく)」は1878年(明治11年)に設置されました。1947年(昭和22年)の区制改革で、麻布区・赤坂区・芝区の三区が合併して「港区(みなとく)」**が誕生しました。「港区」という名称は東京港に面した地域であることに由来しますが、現在の麻布は海には面しておらず、「港区」という名称よりも「麻布」という地名のほうが地域ブランドとして強く機能しているのが特徴です。
10. 「麻布台ヒルズ」と麻布の現代
2023年(令和5年)に開業した**「麻布台ヒルズ(あざぶだいヒルズ)」**は、麻布台1丁目周辺の大規模再開発によって誕生した複合施設です。森ビルが主導したこの再開発は約35年をかけて計画・実施されたもので、江戸時代から武家屋敷・外国公館が立ち並んできた麻布の歴史的な土地利用が、現代の高層ビル群へと変容した象徴的な事例です。古い地名「麻布」が最新の都市開発に冠されることで、その知名度はあらためて広まりました。
麻の布を織った土地に由来するとも、崖の多い地形を指すとも言われる「麻布」は、武家屋敷・外国公館・高級住宅街という重層的な歴史を持ちながら、「あざぶ」という音を現代まで伝え続けています。