「端午の節句(たんごのせっく)」の語源は?5月5日の行事の名前に込められた由来
「端午の節句」という名前の成り立ち
「端午の節句(たんごのせっく)」は「端午(たんご)」と「節句(せっく)」という二つの語から成ります。「節句(せっく)」は年中行事・祝い事の節目を指す言葉で、「節(せつ)」は季節の変わり目・区切り、「句(く)」は「一定の区切り・まとまり」を意味します。日本の五節句(ごせっく)は1月7日(人日)・3月3日(上巳)・5月5日(端午)・7月7日(七夕)・9月9日(重陽)の5つです。
「端午(たんご)」の「端(たん・はし)」は「最初・はじめ・端(はな)」を意味し、「午(ご)」は十二支の「午(うま)」を指します。「端午(たんご)」はもともと「最初の午(うまの日)」という意味で、旧暦5月の最初の午の日を指す言葉でした。後に「午(ご)」が「五(ご)」に通じることから、5月5日(5が重なる日)に固定されました。
「端午(たんご)」の中国起源と日本への伝来
端午の節句の起源は中国の古代にさかのぼります。中国では旧暦5月(梅雨の季節)は疫病・害虫が増える「毒月(どくつき)」とされ、邪気を払う行事が行われました。菖蒲(しょうぶ)・蓬(よもぎ)を使った祓(はらえ)の習慣、薬酒を飲む習慣などがこの時期の行事として発展しました。
中国の詩人・屈原(くつげん)(紀元前340〜278年頃)が5月5日に川に身を投げたという伝承から、この日に「ちまき(粽)」を川に投げ込んで屈原の魂を慰める習慣が生まれたとされています。日本には奈良時代に端午の節句が伝来し、宮中行事として定着しました。平安時代には貴族の行事として、鎌倉時代以降は武家の行事として発展し、江戸時代に庶民にも広まりました。
「菖蒲(しょうぶ)」と「尚武(しょうぶ)」の言葉遊び
端午の節句に菖蒲(しょうぶ)が重視されるのは、もともと菖蒲の香りに邪気払いの効果があるとされたからです。菖蒲湯(しょうぶゆ)に入ると夏の疫病を防ぐという信仰は今も残り、5月5日に菖蒲湯に入る習慣が続いています。
中世以降、武家社会で「端午の節句」が重視されるようになったのは、「菖蒲(しょうぶ)」と「尚武(しょうぶ)・勝負(しょうぶ)」の音が同じであることへの言葉遊び(掛け言葉)が大きな役割を果たしました。「菖蒲(しょうぶ)を尚武(しょうぶ=武をたっとぶ)に掛ける」という発想から、端午の節句は「男子の武運・出世・成長」を祝う行事として武家社会に定着しました。
「鯉のぼり」の語源と由来
「鯉のぼり(こいのぼり)」は端午の節句を象徴する飾りですが、その起源は江戸時代の武家の行事「幟(のぼり)」にあります。武家は端午の節句に家紋を染めた「幟旗(のぼりばた)」を立てる習慣を持っており、これが庶民に広まる過程で「鯉」の形の吹き流しになりました。
「鯉(こい)」が選ばれた理由は中国の故事「登竜門(とうりゅうもん)」に由来します。「黄河の急流(竜門・りゅうもん)を登りきった鯉は龍になる」という中国の伝説から、鯉が立身出世・困難を乗り越える象徴として武家社会で重んじられました。「子どもが鯉のように立派に育つよう」という願いを込めて、鯉の形をした吹き流しを「鯉のぼり」として立てる習慣が定着しました。
「兜(かぶと)」「五月人形」の飾りの意味
端午の節句に「兜(かぶと)」や「鎧(よろい)」の飾りを飾る習慣も武家社会に起源があります。武具は「身を守る・護る」という意味を持ち、男子の無病息災・厄除けの象徴として飾られるようになりました。「五月人形(ごがつにんぎょう)」は金太郎・桃太郎・武将(武者)などを模した人形で、勇ましく育つようにという願いが込められています。
端午の節句の飾りは、平安時代には武具ではなく菖蒲・蓬(よもぎ)を軒に飾る形でしたが、鎌倉時代以降に武家の影響で武具・兜が取り入れられ、江戸時代に現在のような飾り文化が確立しました。「飾り兜(かざりかぶと)」は実際に使う武具ではなく、子どもの健やかな成長を祈る縁起物としての意味が主体です。
「子どもの日」と「端午の節句」の関係
1948年(昭和23年)に5月5日が国民の祝日「こどもの日」として制定されました。「こどもの日」は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨とし、男女を問わず子ども全体を祝う日です。「端午の節句」が男児を祝う行事であるのに対し、「こどもの日」はより広い意味を持っています。
現代では「端午の節句」の習慣(鯉のぼり・兜飾り・ちまき・柏餅)が「こどもの日」と重なる形で続けられており、この日が「男の子の節句」という認識も根強く残っています。柏餅(かしわもち)は江戸時代に端午の節句の食べ物として定着し、「柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちない」ことから「家が絶えない(子孫繁栄)」の縁起を担ぎます。
現代に生きる「端午の節句」の語源的意味
「端午の節句(たんごのせっく)」という名称は、旧暦5月最初の午の日という暦法上の命名から始まり、疫病払い・武家文化・子どもの成長祈願という複数の文化層を経て今日に至っています。「端(はじめの)午(うまの日)」という語源は現代の感覚からは遠くなりましたが、「節句」という語が年中行事の節目を示す言葉として今も使われています。
鯉のぼりが風に泳ぐ5月の風景、菖蒲湯に入る習慣、ちまきや柏餅を食べる慣習は、中国の疫病払い文化と日本の武家文化・農耕文化が重なりあって形成された複合的な行事の産物です。「端午(たんご)」という古い音の響きは、この行事が持つ長い歴史の深さを今日の言葉として伝えています。