「信濃」の語源――科の木が生い茂る土地か、段々と連なる坂の国か
「しなの」という地名の二大語源説
長野県の旧国名「信濃(しなの)」の語源には、大きく二つの説があります。一つは、シナノキという木が多く茂る野を意味する「科(しな)の木の野」説。もう一つは、「しな(級・階)」=段差・重なりを意味する古語に由来し、坂や段丘が重なり合う地形を表したとする説です。
どちらの説も、山国・信濃の風土と結びついた説得力を持っています。植物に由来するのか、地形に由来するのか——決め手はありませんが、両説を並べて眺めると、この土地の姿が浮かび上がってきます。
古い表記は「科野」だった
語源を考えるうえで重要な手がかりが、表記の歴史です。「しなの」は『日本書紀』など古い文献では「科野」と書かれており、「信濃」という表記は後から定着したものです。8世紀初頭に、国名は漢字二字の好字(縁起のよい字)で表記するという方針が打ち出され、各地の国名表記が整えられました。「信濃」もこの流れの中で定まった表記とされています。
つまり「信」や「濃」という漢字自体に意味があるわけではなく、「しなの」という音への当て字です。最古の表記が「科野」——科の木の野——であることは、科の木説にとって有力な材料となっています。
科の木とはどんな木か
科の木(シナノキ)は、日本の山地に広く自生する落葉高木です。古来、この木の樹皮から取れる丈夫な繊維は、縄や布、漁網の材料として利用されてきました。樹皮の繊維で織った布は「しな布」と呼ばれ、現在も伝統工芸として受け継がれています。
材は軽くやわらかで加工しやすく、また初夏に咲く花は蜂蜜の蜜源としても知られます。シナノキは長野県の「県の木」にも指定されており、地名語源の候補という枠を超えて、この土地のシンボルになっています。
「しな」=段差説と山国の地形
もう一方の「階(しな)」説は、「しな」という古語が段・層・重なりを意味することに注目します。「品(しな)」「段階」などに残るこの語感から、「しなの」を「坂道や段丘が幾重にも重なる土地」と解釈する説です。
実際の信濃は、北アルプス・中央アルプス・南アルプスに囲まれ、「日本の屋根」と呼ばれる山岳地帯です。盆地と山地が段をなして連なる地形は、「重なりの国」という解釈とよく響き合います。語源説と地形が互いを補強し合う、地名語源らしい関係といえます。
「信州」という呼び名
「信濃」は「信州(しんしゅう)」とも呼ばれます。旧国名の一字に「州」を付ける呼び方は全国に見られ(甲斐→甲州、紀伊→紀州など)、信濃国の場合は頭の「信」を取って信州となりました。
現代では「信州そば」「信州みそ」「信州りんご」のように、食や観光の文脈で「信州」ブランドが広く使われています。行政名としての「長野県」と、文化的な呼び名としての「信州」が使い分けられている例で、旧国名が今も生きた言葉として機能していることを示しています。
信濃川と千曲川——県境で名前が変わる川
「信濃」の名を負った川が信濃川です。全長367キロメートルの日本最長の河川ですが、実は長野県内では「千曲川(ちくまがわ)」と呼ばれ、新潟県に入ってから「信濃川」と名前が変わります。
新潟側から見れば「信濃国から流れてくる川」だからこその命名です。川の名前に旧国名が刻まれ、しかも県境で呼び名が切り替わる——地名と地理感覚の関係を示す好例として、地図を眺める楽しみを与えてくれる川です。
県歌「信濃の国」に歌い継がれる名前
長野県には、県民に広く親しまれている県歌「信濃の国」があります。明治期に作られたこの歌は、「信濃の国は十州に境連ぬる国にして」と歌い出され、学校行事や式典で歌い継がれてきました。県歌をほとんどの県民が歌えるという例は全国でも珍しく、長野県の特色としてしばしば話題になります。
ここで歌われているのが「長野県」ではなく「信濃の国」であることは象徴的です。旧国名「信濃」は、行政区分が変わった後も、この土地のアイデンティティを担う言葉であり続けています。
山と木の国の名前
科の木が茂る野か、坂の重なる国か。「信濃」の語源は一つに確定できませんが、どちらの説も、森林資源と山岳地形に恵まれたこの土地の個性を言い当てています。古代の人々が、身の回りの木や地形から土地の名前を生み出していった過程が、二つの説のあいだから透けて見えます。
『日本書紀』の「科野」から千年以上。「信濃」という名前は、信州ブランドや県歌、信濃川の名に形を変えながら、今も日々の暮らしの中で呼ばれ続けています。地名の語源をたどることは、その土地の風景の原点をたどることでもあるのです。