「品川」の語源は"品の字の川"?いくつもの川が流れ込む地形の謎


1. 「品川」の語源には複数の説がある

「品川」という地名の由来にはいくつかの説があり、ひとつに絞ることが難しい地名のひとつです。代表的な説として、「品の字の川」説(複数の川が合流する形が「品」の字に見える)、「しなの川」転訛説(信濃の人々が多く住んだ)、そして**「しな(階・段)」地形説**(段丘地形に由来)が知られています。

2. 「品の字の川」説とは何か

最もロマンのある説が「品の字の川」説です。「品」という漢字は「口」が三つ並んだ形をしており、この地に3本の川(目黒川・立会川・その支流など)が海に注ぎ込む様子が「品」の字に見えたため、「品川」と呼ばれるようになったというものです。ただしこれは後世に作られた語呂合わせ的説とも言われています。

3. 「しな(級・階)」地形説

より地形的な根拠として有力視されるのが「しな」説です。「しな」は古語で**段差・階段状の地形(段丘)**を意味します。品川周辺は武蔵野台地の末端にあたり、海に向かって階段状に下る地形があります。「しなの川→しながわ」と転じたという説で、地形と地名が一致する点が評価されています。

4. 「品河」「志奈河」とも記された

古文書を調べると「品川」は「品河」「志奈河」「志那川」など様々な表記が見られます。鎌倉時代の文書にすでに「品河荘(しながわのしょう)」という表記が登場しており、少なくとも中世には「しながわ」という地名が定着していたことがわかります。

5. 品川は東海道第一の宿場だった

江戸時代、品川は東海道五十三次の**第一番目の宿場(品川宿)**として栄えました。日本橋を出発した旅人が最初に宿泊する場所であり、「江戸の玄関口」として重要な役割を担っていました。最盛期には旅籠が90軒以上軒を連ねる賑わいを見せていました。

6. 品川は海運の要衝でもあった

品川は江戸時代を通じて東京湾(江戸湾)に面した港町でもありました。伊豆・房総・相模などから物資が品川の船着場に集まり、江戸市中に流通しました。特に薪・炭・魚介類の集散地として機能し、「品川沖」は江戸城から見える景勝地としても知られていました。

7. 品川の「台場」は幕末の砲台跡

品川沖には幕末に江戸防衛のため海上砲台(台場)が建設されました。ペリー来航(1853年)に衝撃を受けた幕府が急造した施設で、「品川台場」と呼ばれます。現在もお台場として一部が残っており、「台場」という地名の語源になっています。

8. 品川駅は東京でもっとも古い駅のひとつ

1872年(明治5年)、日本初の鉄道として新橋〜横浜間が開業した際、品川駅はその中間駅として開設されました。これは東京に現存する駅の中でも最古の部類に入ります。以来150年以上にわたり、品川は交通の要衝として機能し続けています。

9. 品川区と港区にまたがる「品川」

現在の行政区「品川区」は1932年に設置されましたが、江戸時代の「品川宿」の中心部は現在の港区北品川・南品川にあたります。江戸時代の地名と現代の行政区画がズレているのは、明治・大正期の再編の影響です。JR品川駅も実は港区に所在しています。

10. 「北品川」「南品川」と旧東海道の面影

品川宿の旧東海道沿いには「北品川」「南品川」の地名が残り、今でも古い宿場町の面影を留めた街並みが一部残っています。旧東海道の石畳風の歩道や、江戸時代創建の寺社が点在しており、都市の中に歴史の層が積み重なっています。


複数の川が流れ込み、海に面した台地の末端という地形が「品川」という地名を生みました。東海道の出発点として、海運の港として、鉄道開業の地として——品川は常に「東京の玄関口」であり続けてきた場所です。