「三平汁(さんぺいじる)」の語源は?〜漁師の名前か、器の名前か、アイヌ語か〜


「三平汁」という言葉の起源

三平汁は、昆布だしに塩鮭や糠にしんなどの魚と、大根・にんじん・じゃがいもといった根菜を煮込んだ、北海道を代表する郷土料理である。石狩鍋のように味噌で仕立てるのではなく、魚自体が持つ塩味だけで味を調える素朴な塩汁として知られている。この「三平」という言葉の由来については、江戸時代から複数の説が伝えられており、現在に至るまで一つには定まっていない。

語源説①:漁師・斉藤三平の名にちなむ説

最も広く知られているのが、松前藩にゆかりのある「斉藤三平」という人物の名前が料理名になったとする説である。松前藩の賄い方(藩の食事を用意する役人)だった斉藤三平が考案したためこの名がついたとする説や、狩りに出た松前藩主が空腹のところ、漁師の斉藤三平の家であり合わせの食材で煮込んだ汁をふるまわれ、それを大いに気に入ったことから名がついたとする説などが伝わっている。ただし、斉藤三平が賄い方だったのか漁師だったのか、あるいは南部藩の家臣だったのかについても資料によって記述が異なり、同一人物を指しているのか、同姓同名の複数の人物にまつわる逸話が混ざり合っているのかは判然としない。

語源説②:有田焼の「三平皿」に由来する説

もう一つの説として、器の名前に由来するというものがある。肥前有田焼(伊万里焼)の陶祖として知られる李参平にちなんで名づけられた深めの磁器皿「三平皿」にこの汁を盛りつけたことから「三平汁」と呼ばれるようになった、というものである。百科事典の解説の中には、むしろ斉藤三平の人名に由来するとする説について「船場汁など同工の料理は全国的に分布しており、首肯しがたい」としたうえで、この三平皿説の方を有力視するものもある。

語源説③:アイヌ語の「サンペ」に由来する説

北海道の郷土料理であることから、アイヌ語を語源とする説も唱えられている。アイヌ語で心臓を「サンペ」と呼び、鮭の心臓をはじめとする内臓を用いたアイヌ料理の汁物「サンペのオハウ」が転じて「三平」という言葉と結びついた、とする説である。現在一般的に作られる三平汁は魚の切り身や塩鮭のあらを主に使うものが多く、内臓を用いた料理とは形が異なるが、和人とアイヌの人々の食文化が接する中で名前が変化していった可能性を示す説として紹介されている。

江戸時代の文献に記された三平汁の記録

三平汁がいつ頃から食べられていたかを示す手がかりとして、江戸時代の紀行文や見聞録が挙げられる。平秩東作による「東遊記」(1784年)には「サンヘイ」という名称でこの料理とみられるものが紹介されており、これが文献上確認できる最も古い記録の一つとされる。その後、幕末の探検家・松浦武四郎が著した「西蝦夷日誌」にも「三平汁」という表記で記述が見られるとされる。なお、菅江真澄が1789年頃に記した「ゑみしのさへき」には、魚の内臓を用いた別の料理として近い名称のものが紹介されており、当時すでに複数の系統の料理や呼び名が並存していた可能性もうかがえる。

奥尻島に伝わる「元祖三平汁」の言い伝え

北海道南西部の奥尻島には、三平汁発祥の地を名乗る言い伝えが残っている。松前藩の始祖・武田信広が蝦夷地へ向かう途中で嵐に遭い、奥尻島に漂着した際、島の漁師であった斉藤三平が塩蔵にしんと貯蔵していた野菜を煮込んだ汁をふるまったことが始まりだ、とする伝承である。奥尻町では2005年に「奥尻島元祖『三平汁』研究会」が発足し、この言い伝えを地域の郷土食として振興する取り組みが続けられている。

松前藩と蝦夷地の暮らしが生んだ保存食の知恵

語源の説がどれであれ、三平汁という料理そのものは、寒冷な蝦夷地で人々が編み出した保存の知恵と深く結びついている。冬を越すために塩漬けや糠漬けにして保存した魚を、雪に閉ざされる季節に根菜と一緒に煮込んで食べる調理法は、新鮮な食材が手に入りにくい土地ならではの生活の工夫だった。素材の塩味だけで仕立てるという簡素な味付けも、限られた調味料を無駄なく使い切ろうとした暮らしの延長線上にあると考えられる。

石狩鍋との違いに見る三平汁の個性

北海道の魚料理として三平汁とよく並び称されるのが、味噌仕立ての「石狩鍋」である。石狩鍋が味噌の風味を主体とするのに対し、三平汁は塩漬けの魚から出る塩気と昆布だけで味を決める点が大きく異なる。同じ北海道の魚と根菜を使った料理でありながら味付けの系統がまったく異なることは、三平汁が石狩鍋とは別の歴史や由来を持つ料理として発展してきたことを物語っている。

「三平汁」という名前が語り継ぐもの

現在も三平汁は、家庭料理として、また冬の行事やイベントでふるまわれる料理として北海道各地で作り続けられている。使う魚は鮭、にしん、たら、ほっけなど地域や季節によって異なり、家庭ごとに具材の組み合わせも様々である。

その名前の由来は、漁師の名前、器の名前、アイヌ語の言葉と、複数の説が並び立ったまま今日に伝えられており、どれか一つが確定した正解というわけではない。むしろ、名前の起源をめぐる諸説そのものが、和人とアイヌの人々の交流、松前藩の統治、そして厳しい冬を生き抜くための保存食の工夫という、蝦夷地の複層的な歴史を映し出している。一杯の塩汁の名前の中に、北海道という土地が歩んできた歴史の断片が今も息づいている。