「おてんば」の語源はオランダ語?元気な女の子を表す言葉の由来


「おてんば」とはどんな意味か

「おてんば」は、活発で元気すぎる女の子、じっとしていられずはしゃぎ回る女の子を指す言葉です。現代では比較的ほめ言葉に近いニュアンスで使われることも多いですが、かつては「行儀が悪い」「落ち着きがない」というマイナスの意味合いが強い言葉でした。同じ子どもの活発さを指す言葉でも、時代によって評価がこれほど変わる例は珍しく、言葉の意味の変遷を考えるうえで興味深い一語です。

有力説はオランダ語「ontembaar」

語源として最も広く支持されているのが、オランダ語の「ontembaar(オンテンバール)」から来たという説です。「ontembaar」は「馴らすことができない、手がつけられない」という意味の形容詞で、江戸時代に長崎の出島を通じて日本に入ってきた言葉だとされています。動物を「馴らす」という意味の「temmen」に否定の接頭辞がついた語で、もとは人にも動物にも使える幅広い形容詞でした。

江戸時代のオランダ語の影響

江戸時代、日本はオランダとの貿易を通じてさまざまな言葉を取り入れました。ガラス製品を意味する「ビードロ」、トランプを意味する「カルタ」、コップを意味する「コップ」など、今でも使われる言葉の多くがオランダ語由来です。鎖国下でヨーロッパとの窓口が長崎の出島に限られていた時代、そこを通じて入ってきた言葉は医学・化学用語から日用語まで幅広く、「おてんば」もその流れの中で日本語に溶け込んでいった可能性があります。

「お転婆」の漢字は後からつけた当て字

「おてんば」という音が先にあり、「お転婆」という漢字表記は後から意味に合わせて当てられたものです。転ぶ婆さんという意味ではなく、転び回る、跳ねまわるというイメージから「転」の字が選ばれたとされています。このように、音が先にあって漢字が後から当てられた言葉を当て字と呼び、「おてんば」はその代表的な例の一つです。

「馴らしがたい」から「活発な女の子」へ

オランダ語「ontembaar」が「馴らしがたい」から「手がつけられない」、さらに「はしゃぎ回る」「活発な女の子」へと意味を変えていったと考えられています。外来語が日本語に定着する過程でニュアンスが変わっていくのはよくあることで、「おてんば」もその典型的な例です。否定的な意味合いの強かった言葉が、子どもの元気さを表す言葉として少しずつ柔らかい印象に変わっていった様子がうかがえます。

別説:日本語起源説も存在する

オランダ語説以外にも、日本語固有の語源説はいくつか存在します。転げまわる婆さんを意味する「お転び婆」が縮まったという説や、「点場(てんば)」という言葉に由来するという説などです。しかし現在の研究ではオランダ語説が最も根拠があるとされており、多くの語源辞典もこちらを採用しています。

似て非なる「じゃじゃ馬」との違い

活発な女性を指す言葉には「じゃじゃ馬」もあります。こちらは気性の荒い暴れ馬にたとえた表現で、我が強く人の言うことを聞かない性格を指すことが多く、必ずしも子どもに限定されません。一方「おてんば」は主に子どもの元気さやはしゃぎまわる様子を指す言葉として使われてきた点で、対象年齢や含まれるニュアンスに違いがあります。

英語でいう「tomboy」に相当する

英語には「tomboy(トムボーイ)」という言葉があり、男の子のように活発な女の子を意味します。「おてんば」と非常に近い概念で、異なる言語や文化が同じような子どもの姿を独自の言葉で表現しているのは興味深いことです。ただし「tomboy」が服装や振る舞いの男の子らしさに焦点を当てるのに対し、「おてんば」は動きの活発さそのものに重きが置かれる傾向があります。

江戸から大正、価値観とともに変わった評価

江戸時代の女性には「おしとやか」で「控えめ」であることが求められていました。そのため「おてんば」は当初、その規範から外れた振る舞いを指す、どちらかといえばネガティブな言葉として使われていました。明治・大正時代になると、女性の社会進出や教育の広がりとともにイメージが少しずつ変わり始め、活発で元気な女の子が好ましいとされる価値観が生まれ、「おてんばさん」という呼び方にも愛情が込められるようになっていきます。

死語になりつつある現代語としての「おてんば」

現代では「おてんば」はほぼ死語に近くなりつつあります。かつては女の子に対してよく使われましたが、今では年配の人が使うことが多く、若い世代には「やんちゃ」「元気すぎる」といった表現の方が自然に聞こえるようです。ただし文学作品や時代劇では今も生き続けている表現です。オランダ語で「馴らしがたい」という意味だった言葉が、出島を通じて日本に渡り、活発な女の子を指す言葉として定着した「おてんば」の歩みは、外来語が日本語に溶け込んでいく過程をよく示す一例といえるでしょう。