「おせち」の語源は「御節供」?正月料理に変わるまでの歴史雑学


1. 語源は「御節供(おせちく)」

「おせち」の語源は「御節供(おせちく)」です。「節(せち)」は季節の変わり目にあたる節句(せっく)のことで、「供(く)」は神仏や貴人に供える料理・供物を意味します。つまり「御節供」とは、節句に神様へ供えるために作られた料理のことでした。それが短縮されて「おせち」と呼ばれるようになりました。

2. もともとは五節句すべてに作られた料理

もともと「おせち」は正月だけの料理ではありませんでした。平安時代の宮中では、人日(1月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)の五節句すべてで御節供が用意されていました。年間で最も重要な節句が正月であったため、次第に正月の料理を「おせち」と呼ぶようになっていったのです。

3. 宮中行事から庶民へ広がった歴史

平安時代の御節供はもっぱら宮中の儀式料理でした。それが鎌倉・室町時代を経て武家社会に広まり、江戸時代には町人や農民の間にも浸透していきます。江戸幕府が五節句を公式の式日と定めたことで、庶民がおせちを作る習慣が全国に定着したとされています。

4. 重箱に詰める形式はいつ始まったか

おせちを重箱に詰める形式が広まったのは江戸時代中期以降のこととされています。重箱は「めでたいことを重ねる」という縁起をかついでいます。また正月の三が日は火を使う調理を控える慣習があったため、日持ちする料理をまとめて作り重箱に収める形式が実用的にも合理的でした。

5. 「一の重」から「四の重」それぞれの意味

一般的なおせちは四段重ねで構成されます。一の重には祝い肴(黒豆・数の子・田作りなど)、二の重には焼き物(海老・ぶりなど)、三の重には煮物(里芋・れんこん・くわいなど)、四の重は「与の重」と書いて「控えの重」とも呼ばれ、酢の物や和え物を入れます。「四」を忌み数として使わず「与」と書くことにも縁起への配慮が見られます。

6. 黒豆・数の子・田作りの「祝い肴三種」

おせちの要ともいえる祝い肴三種にはそれぞれ語源と意味があります。黒豆は「まめに(勤勉に)働けるよう」、数の子はニシンの卵が多いことから「子孫繁栄」、田作りはカタクチイワシを田の肥料にした農業文化に由来し「豊作祈願」を表します。いずれも農耕社会の願いが込められた料理です。

7. 地域によって大きく異なるおせちの中身

おせちの具材は地域によってかなり異なります。関東では甘く味付けた黒豆、関西では丹波の黒豆を使いやや淡い味付けが好まれます。九州では辛子れんこんや博多雑煮に合う料理が重箱に入り、北海道では昆布巻きや数の子が特に豊富に用意されます。全国共通のように見えて、実は各地の食文化を映した料理です。

8. 「おせち商戦」は昭和30年代から本格化

デパートや食品店でおせちを販売する「おせち商戦」が本格化したのは昭和30年代(1950年代後半)以降です。高度経済成長期に核家族化が進み、家庭で一から作るおせちが減少する一方、既製品のおせちが普及しました。現在ではインターネットでの予約販売が主流となり、和洋折衷・中華・洋風など多様なスタイルのおせちが売られています。

9. おせちを食べない家庭の増加

近年の調査では、若い世代を中心に「おせちを食べない」または「一部しか食べない」という家庭が増えています。食の洋風化や正月の過ごし方の多様化が背景にありますが、一方で「冷凍おせち」「少人数用おせち」「ひとり用おせち」などの商品開発が進み、新しい形での継承も見られます。

10. 「おせち」の漢字表記「御節」の成立

「おせち」を漢字で「御節」と書くのが一般的になったのは近代以降で、もともとの「御節供(おせちく)」から「供(く)」が脱落した略語表記が定着したものです。「節供」という語は今も「節句料理」「節句お祝い」などの複合語に形を変えて残っており、季節の節目を大切にする日本の文化的感性を今に伝えています。


五節句すべてに供えられていた「御節供」が、正月だけの料理を指す「おせち」へと変わるまでには、千年以上の歴史がありました。重箱に込められた縁起の数々は、無病息災と豊かさを願ってきた人々の思いの積み重ねです。