「お台場」の語源はペリー来航に備えた幕末の砲台場だった
1. 「お台場」の「台場」は砲台を据えた場所
「お台場」の語源は**「御台場(おだいば)」**、すなわち大砲を据えて防衛のために築いた人工島・砲台場のことです。「台場」は「砲台の場所」を意味し、「御」は幕府のものであることを示す敬称です。現在のお台場は当時の面影をほとんど残していませんが、第三台場と第六台場が史跡として保存されています。
2. 黒船来航が建設のきっかけ
1853年(嘉永6年)、アメリカのマシュー・ペリー提督率いる黒船艦隊が浦賀沖に来航し、江戸幕府に開国を迫りました。この「黒船来航」に衝撃を受けた幕府は、江戸湾(現在の東京湾)の防衛を急ぐため、品川沖への砲台場建設を決定します。
3. 設計者は江川英龍(韮山代官)
台場の設計・建設を命じられたのは、伊豆韮山代官の**江川英龍(えがわひでたつ)**です。西洋の軍事技術を独学で習得していた江川は、フランスの要塞建築理論をもとに品川台場の設計を行いました。彼はパンの国内製造を始めたことでも知られ、「パン祖」とも呼ばれています。
4. わずか1年半で11基を計画
幕府は1853年8月に工事を開始し、江戸湾に11基の台場を建設する計画を立てました。海上に石垣と土砂で人工島を作り、そこに砲台を据えるという大工事でしたが、財政難と技術的困難から完成したのは一部にとどまりました。
5. 実際に完成したのは6基のみ
11基の計画のうち、実際に完成したのは第一・第二・第三・第五・第六台場と試作的に作られた品川台場の6基です。第四台場は工事途中で中断され、後に撤去されました。第七以降は着工すらされませんでした。当初の計画通りには進まなかったものの、短期間でこれだけの人工島を築いた土木技術は驚異的でした。
6. 大砲は結局一発も撃たれなかった
台場はペリーの再来航(1854年)までに建設が急がれましたが、結果として大砲が実戦で使われることはありませんでした。幕府はペリーとの交渉を選択し、1854年に日米和親条約を締結。台場は「役に立たなかった要塞」として歴史に名を残すことになりました。
7. 明治以降は放置・埋め立てが進む
明治維新後、幕府の施設だった台場は管理が曖昧になり、多くが埋め立てや解体で失われました。残った第三台場・第六台場は国有地として保存され、現在は国の史跡に指定されています。第三台場は「台場公園」として一般公開されており、当時の砲台跡を見ることができます。
8. 「お台場」という呼び名の定着
「御台場」が「おだいば」と呼ばれ親しまれるようになったのは江戸時代後期です。庶民にとって海上の人工島は物珍しく、見物に来る人もいたといいます。「お」をつけて親しみを込めて呼ぶのは江戸言葉の特徴で、「お江戸」「お城」と同様の用法です。
9. 1990年代のフジテレビ移転で一躍有名に
現代的な意味での「お台場」の知名度を高めたのは、1997年のフジテレビ本社移転です。丹下健三設計の球体展望台を持つ斬新な建物が話題を呼び、続いてアクアシティ・デックス東京ビーチなどの大型商業施設が開業しました。幕末の砲台跡が東京の代表的な観光地・商業地へと変貌したのです。
10. 「台場」は地名として各地に残る
砲台場を意味する「台場」という地名は、お台場以外にも全国各地に残っています。函館の弁天台場跡、下関の砲台場跡など、幕末に建設された海防施設の記憶が地名のかたちで継承されています。「台場」という言葉が出てきたら、幕末の緊張した外交・軍事情勢を思い起こすきっかけになります。
ペリーへの恐怖から生まれた砲台場が、一発の砲弾も撃つことなく歴史の舞台を去り、150年後には最先端のエンターテインメント都市に生まれ変わる。「お台場」という地名の来歴は、日本の近代史の縮図のようです。