「乃木坂(のぎざか)」の語源は?乃木希典(のぎまれすけ)将軍の邸宅があった坂の地名の由来
「乃木坂(のぎざか)」の語源——乃木希典の邸宅
「乃木坂(のぎざか)」の語源は、明治時代の陸軍大将・乃木希典(のぎまれすけ、1849〜1912年)の邸宅が坂の近くにあったことに由来するとされています。乃木は日露戦争(1904〜1905年)で旅順(りょじゅん)攻略を指揮した軍人で、明治天皇の崩御(ほうぎょ)に際して1912年(明治45年・大正元年)9月13日、妻とともに殉死(じゅんし)しました。乃木邸は現在の港区赤坂に現存しており、赤坂乃木邸として一般公開されています。坂の近くに乃木の邸宅があったことから、地元の人々がこの坂を「乃木坂」と呼ぶようになったと伝えられています。
「幽霊坂(ゆうれいざか)」という旧称
乃木坂という地名が成立する以前、この坂は「幽霊坂(ゆうれいざか)」と呼ばれていたとされます。「幽霊坂」という地名は江戸時代から存在し、暗くて人通りが少なく木々が鬱蒼と茂って不気味な坂を「幽霊坂」と呼ぶ慣習があったといわれます。江戸・東京には複数の「幽霊坂」が存在しており、昼でも薄暗く幽霊が出そうな坂という地形的特徴から命名されたとされています。乃木希典の殉死と乃木邸の存在がこの坂に歴史的な意味をもたらし、「幽霊坂」から「乃木坂」へと改称されたと考えられています。
「乃木希典(のぎまれすけ)」という人物
乃木希典(1849〜1912年)は長州藩(ちょうしゅうはん)出身の明治陸軍大将で、西南戦争(1877年)・日清戦争(1894〜1895年)・日露戦争(1904〜1905年)に従軍した軍人です。日露戦争における旅順包囲戦(りょじゅんほういせん)では多大な犠牲を出しながらも要塞を攻略し、「軍神(ぐんじん)」として明治時代に崇拝されるようになりました。明治天皇の崩御に際して殉死したことは日本社会に衝撃を与え、夏目漱石の小説『こころ』(1914年)における「先生の殉死」のモデルになったとも言われています。
「乃木神社(のぎじんじゃ)」——全国に分布する神社
乃木希典は乃木神社として全国に祀られています。東京・港区の乃木神社は乃木邸跡に隣接して建立され、乃木希典・乃木夫人が祭神として祀られています。学問の神・勝負の神・忠義の神として信仰され、受験合格や必勝祈願の参拝者が多く訪れます。全国に乃木神社は数社あり(東京・京都・那須など)、明治の軍人が神として祀られた近代神社の代表例とされています。
「乃木坂46(のぎざか46)」——地名が国民的知名度を得た経緯
現代において「乃木坂」の名前を全国的に有名にしたのは、女性アイドルグループ「乃木坂46(のぎざか46)」です。2011年にAKB48の公式ライバルとして結成され、乃木坂(東京都港区)という地名をグループ名に採用しました。グループ名の由来は「乃木坂工業高等学校」という架空の学校の生徒という設定によるもので、実際の地名「乃木坂」がグループ名に使われた形です。現在では「乃木坂=乃木坂46」というイメージが若い世代に定着しており、地名がアイドルグループ名として再定義された珍しい例といえます。
東京メトロ「乃木坂駅」と赤坂・六本木エリア
乃木坂駅は東京メトロ千代田線の駅で、港区南青山(みなみあおやま)に位置します。乃木坂は赤坂・六本木・青山という東京の高級・文化的エリアの交差点に位置し、国立新美術館(こくりつしんびじゅつかん)が駅直結で開館した2007年以降、アート・文化の発信地としても知られるようになりました。国立新美術館は展示コレクションを持たない「展覧会専門美術館」として日本最大規模の展示面積を誇り、国内外の優れた展覧会が開催されています。
「坂(さか)」の地名——東京の坂地名文化
東京(江戸)には非常に多くの「坂」の地名があります。幽霊坂・乃木坂・道玄坂(どうげんざか)・渋谷坂・神楽坂(かぐらざか)・紀尾井坂(きおいざか)・弁慶坂(べんけいざか)など、地形的特徴や人名、由来にちなんだ坂の地名が東京各所に存在します。武蔵野台地(むさしのだいち)が発達した東京は地形的に起伏が多く、坂が地域の目印・通称として機能してきたとされます。坂の上り口・下り口・交差点という結節点の役割が地名に反映されているといえます。
「殉死(じゅんし)」という行為の歴史的意味
乃木希典の殉死は、主君や皇帝の死に際して従って死ぬという「殉死(じゅんし)」という慣習の、近代における最後の著名な例として知られています。日本では江戸時代初期の1663年に幕府が殉死禁止令を出しており、制度的には江戸初期以降は禁じられていた行為でした。明治時代の乃木の殉死は、明治天皇への忠義という形での個人的な選択として行われたとされています。殉死の廃止から250年余りを経てのこの死は、近代日本における忠義・武士道・軍国主義の象徴として、乃木の死を歴史的に重要なものにしているといえます。
乃木坂周辺の文化施設
乃木坂・青山・赤坂エリアには多くの文化施設が集積しています。国立新美術館のほか、サントリー美術館(東京ミッドタウン内)、21_21 DESIGN SIGHT(にじゅういちにじゅういちデザインサイト)、根津美術館(ねずびじゅつかん)、岡本太郎記念館(おかもとたろうきねんかん)などが徒歩圏に位置します。東京における美術館・文化施設の密集地帯として、「乃木坂・六本木アートトライアングル」という観光ルートが観光ガイドで紹介されることもあります。
「乃木坂」から見る地名と人名の関係
「乃木坂」は人名が地名に転化した典型例として、地名学の文脈でも興味深い事例です。人名由来の地名は日本全国に存在し、弁慶(べんけい)や菅原道真(すがわらのみちざね)、楠木正成(くすのきまさしげ)など、歴史上の人物の名が地名や施設名に転化した例は多数あります。「乃木坂」は近代(明治時代)の人名が地名になった比較的新しい例で、さらに現代ではアイドルグループ名という第三の意味層が加わりました。坂の名から将軍の邸宅、乃木将軍の記憶、そしてアイドルグループ名へと意味が重なってきたことは、地名の珍しい例といえます。「幽霊坂」という不吉な旧称から、明治の軍人・乃木希典の殉死によって「乃木坂」と改称され、さらに現代では「乃木坂46」というアイドルグループ名として新たな意味を持つに至った乃木坂は、一つの地名に歴史と現代文化が重なり合う特異な場所だといえるでしょう。