「人形町(にんぎょうちょう)」の語源は?江戸の人形師と芝居小屋が集まった下町の由来
人形師と芝居小屋が集まった街
「人形町(にんぎょうちょう)」の語源は、江戸時代に人形浄瑠璃の人形師や人形売り、芝居小屋が集まっていた場所に由来します。江戸時代初期、当時「葺屋町」と呼ばれたこの地区に人形浄瑠璃の興行や人形師の工房、人形を売る店が集まったことから、「人形町」という名が定着したとされています。
人形町の文化的ルーツ「人形浄瑠璃」
人形浄瑠璃は、三味線の音楽と義太夫節と呼ばれる語り、精巧な操り人形を組み合わせた日本の伝統芸能で、1684年ごろに竹本義太夫が大阪で確立しました。江戸時代には大阪・江戸で大流行し、『仮名手本忠臣蔵』『曾根崎心中』といった名作が生まれています。別名「文楽」としてユネスコ無形文化遺産にも登録されており、人形町がこの芸能の拠点の一つだったことが地名を生み出しました。
甘酒屋が並んだ「甘酒横丁」
人形町駅近くの路地「甘酒横丁」は、明治時代に甘酒屋が並んでいたことからその名がついたといわれています。現在は甘酒屋こそほとんど残っていませんが、和菓子屋や老舗の飲食店、喫茶店などが軒を連ね、下町の雰囲気を残す横丁として観光客を集めています。江戸時代、甘酒は夏の栄養補給飲料として庶民に広く飲まれていました。
親子丼発祥の老舗「玉ひで」
1760年創業の「玉ひで」は、人形町に店を構える鶏料理の老舗です。もともと軍鶏鍋の専門店として続いてきたこの店は、日本最古の親子丼発祥の店の一つとされています。鶏肉を親、卵を子に見立てた「親子丼」という名前は、玉ひでと人形町の歴史的な結びつきの中で生まれました。数時間並んででも食べたいという行列が絶えず、人形町を代表するグルメスポットになっています。
安産祈願で知られる水天宮
人形町の近く、日本橋蛎殻町に鎮座する水天宮は、安産や子授け、水難除けの神様として知られています。本社は福岡県久留米市にあり、1818年に久留米藩主の有馬家が江戸の藩邸に勧請したのが始まりです。干支の犬にあたる「戌の日」に安産祈願をすると良いという信仰から、妊婦が参拝する神社として全国に知られるようになりました。
芝居町として賑わった江戸時代
人形町一帯は、堺町や葺屋町とともに、江戸三座の芝居小屋や人形浄瑠璃の興行、見世物小屋、飲食店が集まる江戸の歓楽街として賑わいました。1657年の明暦の大火の後に芝居小屋が浅草へ移ってからも、人形師や小間物屋、甘酒屋、料亭は人形町に残り、江戸の粋な下町として発展を続けました。
「人形」という言葉の意味
「人形」の語源は、人の形をしたものという直接的な意味を持ちます。雛人形やこけし、操り人形、ぬいぐるみなど幅広い概念を指す言葉ですが、日本語の「人形」は特に、人を模した立体的な工芸品や玩具を指して使われます。読みが似た「人魚」とはまったく異なる言葉で、混同されやすい点にも注意が必要です。
老舗が集まる下町グルメの街
人形町には、玉ひでのほかにも洋食の芳味亭、人形焼で知られる重盛永信堂、たい焼きの柳屋など、江戸時代から続く老舗が集まっています。人形町名物の人形焼は、人形の形をした生地の中にこしあんを詰めた焼き菓子で、人形町のお土産として長く親しまれてきました。
江戸の下町情緒と現代が交差する街
現在の人形町駅には東京メトロ半蔵門線と日比谷線が乗り入れ、周辺には証券会社や銀行、法律事務所などが多く立地しています。ビジネスエリアと下町文化が共存するこの一帯は、江戸時代の人形師や人形浄瑠璃、芝居小屋が集まった歴史を今に伝えながら、甘酒横丁や玉ひで、水天宮を目当てに訪れる観光客をも引き寄せる、東京の歴史と現代が交差する街になっています。