「那須」の地名の由来は高原の地形にあり?那須与一と温泉郷の深い歴史
1. 「那須」の語源:なだらかに広がる高原
「那須」の語源として有力な説は、「なだらかな州(す)」に由来するというものです。「州(す)」は水辺の砂地や平地を指す古語で、那須野ヶ原のようになだらかに広がる台地状の地形をそのまま言い表したと考えられています。険しい山岳地帯ではなく、ゆるやかに起伏する開けた高原が「那須」の名の原型とされています。
2. 「那須」の別表記と古代の呼び名
奈良時代の史料には「奈須(なす)」「那須(なす)」の両表記が見られます。『万葉集』にも那須に関連する歌が収録されており、古くから人々に認識された土地でした。律令制下では「那須国(なすのくに)」として独立した地域区分が設けられたこともあり、古代から一定の政治的まとまりを持つ地域でした。
3. 那須野ヶ原の広大な台地
那須の地名が示す地形的特徴は、那須野ヶ原という広大な扇状地に端的に表れています。那珂川・箒川・余笹川などが運んだ砂礫が積み重なり、標高200〜600メートルのなだらかな台地が形成されました。この「広くなだらかに広がる土地」こそが「那須」という名の核心です。
4. 那須与一と扇の的
「那須」の名を全国に知らしめたのが、平安末期の武将・那須与一(なすのよいち)です。1185年の屋島の戦い(壇ノ浦の前哨戦)において、平家方の船上に掲げられた扇の的を弓で射落とした逸話は『平家物語』に記され、那須の名を歴史に刻みました。
5. 那須与一の名前の由来
那須与一の「与一(よいち)」は「十一番目の子」を意味するとも、那須氏の家系での通称とも言われています。本名は資隆(すけたか)で、那須氏は那須野ヶ原を拠点とした武士団の一族でした。扇を射る際に「南無八幡大菩薩」と念じたとされ、この一節は今日でも広く知られています。
6. 那須温泉郷の歴史
那須温泉郷は1300年以上の歴史を持ちます。奈良時代の718年に行基が発見したという伝承があり、平安時代には既に湯治場として機能していたとされます。那須湯本温泉を筆頭に、板室温泉・大丸温泉・三斗小屋温泉など10以上の温泉地が那須高原に点在しています。
7. 殺生石と九尾の狐伝説
那須湯本温泉近くにある「殺生石(せっしょうせき)」は、付近に有毒な火山ガスが噴出し動物が死ぬことから名付けられました。中国から渡ってきた「九尾の狐」が射殺されてこの石になったという伝説が室町時代から語り伝えられ、謡曲『殺生石』にも取り上げられています。2022年に殺生石が自然に割れたことがニュースになりました。
8. 明治天皇と那須御用邸
那須は皇室とも深い縁があります。1881年(明治14年)に明治天皇が那須野ヶ原の開拓を視察したことをきっかけに、那須野が原への関心が高まりました。現在の那須御用邸は1926年(大正15年)に設置され、以来皇室の避暑地として使われています。
9. 那須野ヶ原の開拓と用水路
明治時代、那須野ヶ原は「水なし野原」と呼ばれる不毛な原野でした。1885年(明治18年)に那須疏水(なすそすい)が完成し、那珂川から引いた水で大規模な農地開拓が進みました。松方正義・西郷従道ら明治の有力者も農場を開いており、近代日本の農業開拓の象徴的な地域となっています。
10. 那須岳と活火山
那須岳(茶臼岳・朝日岳・三本槍岳などの総称)は標高1915メートルに達する活火山群です。茶臼岳は今も噴煙を上げており、気象庁の常時観測火山に指定されています。高山植物や紅葉の名所でもあり、那須という地名が持つ「なだらかな高原」のイメージを今日も体現しています。
「なだらかな州(す)」という地形描写から生まれた那須の名は、扇の的の逸話から温泉郷、御用邸まで、日本史の多彩な舞台となってきた土地の懐の深さをそのまま映し出しています。