「武蔵小杉(むさしこすぎ)」の地名の語源は?旧国名「武蔵」と集落名の「小杉」——川崎の地名の由来
「武蔵小杉(むさしこすぎ)」という地名の成り立ち
「武蔵小杉」は神奈川県川崎市中原区に位置し、二つの語「武蔵(むさし)」と「小杉(こすぎ)」からなる地名です。「武蔵」は現在の東京都・埼玉県・神奈川県北東部にまたがって存在した旧国名「武蔵国(むさしのくに)」を指し、「小杉」はこの地にあった集落の名前です。「小杉」の由来ははっきりせず、川崎市は「コ」は接頭語、「スギ」は砂地を表し、多摩川がつくった砂地の意と推測しています。
「武蔵国(むさしのくに)」の語源
「武蔵」という地名の語源は古くから諸説が立てられてきました。本居宣長は駿河・相模とともに「佐斯(さし)国」と呼ばれた国が分かれて転訛したと説き、賀茂真淵は「身狭(むさ)国」が上下に分かれて相模・武蔵になったと述べています。いずれも確実な根拠を欠くとされ、確定的な語源は不明です。国府(こくふ)は和銅3年(710年)頃に現在の東京都府中市(ふちゅうし)に置かれたとされています。
「小杉(こすぎ)」の語源——由来は不明
「小杉(こすぎ)」の由来は、川崎市の地名調査でも不明とされています。同市は、「コ」は接頭語、「スギ」は砂地を表し、多摩川がつくった砂地という意味だと推測しています。植物の杉に結びつける解釈もありますが、確かな裏づけは見当たりません。小杉は江戸時代に中原街道の宿場(小杉宿)として栄え、小杉陣屋や小杉御殿が置かれた地でもあります。
「武蔵小杉」という駅名の成立
「武蔵小杉」という名称が広く知られるようになったのは鉄道駅の開業によります。1927年(昭和2年)に南武線(なんぶせん)の前身・南武鉄道の停留場(当初の名は「グラウンド前」)として開業し、のちに「武蔵小杉」の駅名になりました。富山県の北陸本線にすでに小杉駅があったため、旧国名「武蔵」を冠して区別した例で、「武蔵境(むさしさかい)」「武蔵浦和(むさしうらわ)」なども同様の命名法です。
多摩川と低地——かつての武蔵小杉の地形
武蔵小杉周辺は多摩川(たまがわ)が作った沖積低地(ちゅうせきていち)に広がる地域で、かつては水田と工場が混在する地帯でした。多摩川の氾濫(はんらん)による低湿地が広がっていたため、戦前〜戦後にかけては重工業(川崎市全体が工業地帯)の工場が集積していました。「武蔵小杉=工場の町」というイメージが長く続いていましたが、1990年代以降の工場移転・跡地再開発によって大きく変貌していきます。
「タワーマンションの街」への変貌
2000年代以降、武蔵小杉は急速な再開発で「タワーマンションの街」として全国的に知られるようになりました。旧工場跡地に高層マンション群が次々と建設され、2010年代には人口が急増。東急東横線・JR横須賀線・JR南武線・JR湘南新宿ラインが乗り入れる交通結節点(こうつうせっせつてん)として利便性が高く、都心へのアクセスの良さが人気を呼びました。その一方で駅の混雑・インフラへの負荷・2019年の台風19号による浸水被害(低地の地形的リスク)なども話題になりました。
「武蔵」を冠する地名の広がり
「武蔵小杉」の「武蔵」のように、旧国名を冠する地名・駅名は関東に多く見られます。「武蔵野市(むさしのし)」「武蔵境(むさしさかい)」「武蔵浦和(むさしうらわ)」「武蔵小金井(むさしこがねい)」「武蔵引田(むさしひきだ)」など、「武蔵○○」という形式の地名・駅名が現在も使われています。これは「大きな旧国の中の特定の地点」を示すための命名法で、国名+集落名・地形名の組み合わせが広域地域の中での位置を明確にする役割を持っていました。
砂地の集落から高層ビル街へ
多摩川がつくった砂地の集落に由来すると推測される「小杉」という地名が、今日では高層マンションとオフィスビルが林立する「武蔵小杉」として全国に知られています。地名の語源はかつての自然・地形に根ざしているのに対し、実際の景観はそれとは全く異なるものへと変わりました。しかし「武蔵小杉」という名前の中に「武蔵国」という古代地名と「小杉」という集落の記憶が残ることは、その土地の時間の厚みを伝えています。