「池袋」の地名は水が溜まる袋状の地形から来ていた


「袋」は三方を囲まれた窪地を意味する

「池袋」の「袋」は、三方あるいは四方を丘や台地に囲まれた袋状の低地・窪地を表す地形語だとされています。袋のように周囲が閉じた低い土地には雨水が集まりやすく、自然に池や湿地が形成されやすい傾向があります。こうした地形に由来するとみられる地名は「池袋」のほかにも、「鶯谷」「大塚」など武蔵野台地の周辺に複数見られるといわれています。

「池」は実際に存在した湿地と溜め池

「池袋」という地名は、窪地に自然にできた溜め池に由来すると考えられています。江戸時代の古地図には、現在の池袋一帯に複数の沼地・溜め池が記されているとされ、武蔵野台地の東縁にあたるこのあたりは水はけがよくなかったとみられます。低地に雨水が溜まりやすい地形だったことが、地名の背景にあると考えられています。

地名の初出は室町時代

「池袋」という地名が文献に登場するのは室町時代ごろとされています。現在の練馬区・豊島区一帯を治めていたとされる豊島氏(としまし)に関連する文書に「池袋郷」の記載が見られるといわれています。豊島氏は武蔵国の有力な武士団の一つとされ、池袋一帯はその所領のひとつだったと伝えられています。

江戸時代は農村地帯だった

江戸時代の池袋は、都市の外縁部に位置する農村だったと考えられています。現在の繁華街の姿からは想像しにくいものの、当時は田畑・雑木林・湿地が広がる静かな村落だったとみられます。徳川将軍家の鷹狩り場としても利用されたとの記録が残っているとされ、豊かな自然環境が広がっていた土地だったことがうかがえます。

池袋駅の開業は1903年

池袋駅が開業したのは1903年(明治36年)、日本鉄道(現在のJR山手線)の駅としてだったとされています。翌1904年には東上鉄道(現東武東上線)、1915年には武蔵野鉄道(現西武池袋線)が相次いで乗り入れたと伝えられ、これを機に池袋は交通の要衝として発展していったと考えられています。

西武と東武、東西で分かれた百貨店戦争

池袋を象徴する存在といえるのが、西口の東武百貨店と東口の西武百貨店です。西側に東武、東側に西武という一見ねじれた配置は、それぞれの鉄道路線の乗り入れ口が東西に分かれていたことに由来するとされています。戦後復興期から高度経済成長期にかけて、両百貨店の競争が池袋の繁栄を牽引したとみられています。

「サンシャイン60」は旧巣鴨プリズンの跡地

池袋のランドマークである「サンシャイン60」(1978年完成)が建つ場所には、戦前・戦中に**巣鴨拘置所(通称・巣鴨プリズン)**があったとされています。戦後はGHQの管理下に置かれ、A級戦犯を収容した施設だったと伝えられています。1971年の閉鎖後、跡地は大規模に再開発され「サンシャインシティ」として整備されたとされています。

池袋の「池」は今もある?

かつての溜め池はそのほとんどが埋め立てられ、現在では痕跡を見つけるのは難しくなっているとみられます。ただし地名研究者の指摘によると、豊島区内の一部には微地形として低地が残っており、大雨のたびに浸水しやすい場所があることが「池のある袋地」の名残ではないかとされています。

「としま」は豊島区の地名にも生きている

池袋を擁する豊島区の「豊島」という地名も、かつてこの地を支配していたとされる豊島氏に由来すると考えられています。「豊島(としま)」という読みは「豊かな島状の台地」を意味するともいわれ、武蔵野台地の地形を反映した古い地名だと考えられます。池袋と豊島は、いずれもこの地域の地形の記憶を名前にとどめているといえそうです。

乗降者数は世界有数のターミナル駅

池袋駅はJR・東武・西武・東京メトロの4社が乗り入れる巨大ターミナルで、1日の乗降者数は新宿・渋谷と並んで世界トップクラスとされています。湿地と農村が広がっていたとされる村落が、鉄道の結節点として発展していった経緯は、日本の近代化が生んだ大都市の姿を象徴しているといえるかもしれません。水が溜まりやすい窪地という地形の必然が「池袋」という地名を生んだと考えると、かつての湿地が今や世界有数の乗降者数を誇るターミナルへと姿を変えたことは、地名にその土地の記憶がしっかりと刻まれていることを物語っているといえそうです。