「北海道(ほっかいどう)」の語源は?松浦武四郎が命名した「北の海の道」の名前の由来


「北海道」の命名者は松浦武四郎

「北海道(ほっかいどう)」という地名を提案したのは、江戸時代末期から明治にかけて活躍した探検家・地理学者の松浦武四郎(まつうらたけしろう、1818〜1888年)です。松浦は幕末に蝦夷地(えぞち)を6度探検し、アイヌの人々と密接に交流しながら詳細な地誌を記録しました。1869年(明治2年)、明治政府が蝦夷地を「開拓使」の管轄下に置くにあたり松浦に改称案を求め、彼が提案した「北海道」が採用されたと伝えられています。

六つの候補案から選ばれた「北海道」

松浦武四郎は改称に際して複数の候補地名を挙げたとされ、「北加伊道(ほっかいどう)」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」「日高見道」などが候補に含まれていました。最終的に採用された「北海道」は、「北の海の道」という明快な意味と、古代律令制の「五畿七道」に倣った「〜道」という形式を組み合わせた名称として政府に受け入れられたと考えられています。

アイヌ語に由来する「加伊」の一文字

候補の一つだった「北加伊道」の「加伊(かい)」は、アイヌ語の「カイ(この土地の人・アイヌ民族)」に由来するとされます。「この土地の人が住む北の道」という意味を込めた名称だったとすれば、松浦がアイヌ文化やアイヌの人々に深い敬意を持っていたことがうかがえます。最終的に「加伊」の一字は外れて「北海道」となりましたが、当初案にはそうした意図が込められていたと考えられています。

「蝦夷地」から「北海道」への転換

北海道が「北海道」と呼ばれる以前、この島は「蝦夷地(えぞち)」あるいは「蝦夷(えぞ)」と呼ばれていました。「蝦夷」は和人がアイヌ民族を指して用いた呼称で、「異民族が住む未知の土地」というニュアンスを含んでいたとされます。「北海道」への改称は単なる地名の変更にとどまらず、明治政府による北方支配・開拓政策の始まりを示す出来事でもありました。

「道」という古代からの行政区分

「北海道」の「道」は、古代律令制における「五畿七道(ごきしちどう)」の「道」に由来するとされます。律令制では全国を東海道・山陽道・山陰道など複数の「道」に区分し、主要な交通路や行政区域として扱っていました。この呼び方に倣った「北海道」は、現代の都道府県においても「道」を名乗る唯一の特別な行政単位として残っています。

北海道に残るアイヌ語地名

北海道の地名には、アイヌ語に由来するものが数多く残っています。「札幌」はアイヌ語で「乾いた大きな川」を意味する語に由来するとされ、「知床」は「大地の突き出たところ」を意味するアイヌ語が語源とされています。「釧路」もアイヌ語の「通り抜ける・岬」に通じる語が由来とされ、地名そのものがアイヌの人々の土地理解を今に伝えています。

開拓使と屯田兵による急速な開拓

明治政府は1869年、北海道開拓のための機関「開拓使」を設置し、本州から多くの移住者を送り込みました。農業と軍事を兼ねた「屯田兵」制度も設けられ、土地を与えられた兵士たちが開拓と国防を担いました。この急速な開拓によって北海道の人口は増加した一方、アイヌ民族は生活の場と文化を大きく損なうことになりました。現在は「アイヌ文化振興法」「アイヌ施策推進法」などによって、アイヌ文化の回復と振興が進められています。

日本第2の島が支える食料生産

北海道の面積は約83,424平方キロメートルで、日本の総面積の約22パーセントを占める、本州に次ぐ日本第2の島です。この広大さが農業・酪農・漁業を支え、米・小麦・じゃがいも・牛乳・鮭・毛ガニなど、日本各地の食卓に届く食料の一大産地となっています。

「道産子」という愛称に見る土地への誇り

北海道出身者・北海道育ちの人を指す「道産子(どさんこ)」という言葉は、もともと北海道産の馬(北海道和種)を指す語でした。そこから転じて北海道出身の人を指す愛称として広まり、テレビ番組名などにも使われるほど親しまれています。アイヌ語地名へのリスペクトを込めた「北加伊道」案が「北海道」として結実した1869年の改称は、明治日本の北方支配の始まりであると同時に、アイヌ語由来の地名を数多く残したまま、日本列島の中でも多文化的な歴史を刻んできたこの島の性格を象徴する出来事だったといえます。