「銀座」の地名は銀貨の製造所だった?全国に100以上ある"銀座"の謎


「銀座」は銀貨を鋳造する役所を指した言葉とされる

「銀座」の語源は文字どおり**「銀を鋳造する座(=組織・施設)」**だとされています。江戸幕府は1612年に駿府(現在の静岡)にあった銀貨鋳造の役所を江戸に移転させたとされ、その施設が置かれた一帯がそのまま「銀座」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在の中央区銀座はこの役所の所在地にあたり、地名の由来が組織名にそのまま重なる珍しい例だといえます。

「座」は中世由来の同業者組合を意味するとされる

「座」はもともと中世日本の商工業者による同業者組合を指す語だとされています。公家や寺社の保護のもとで特定の商売を独占的に営む組織を「座」と呼ぶ慣習があり、江戸幕府はこの言葉を貨幣鋳造の役所名にも転用したと考えられています。「金座」「銀座」「銅座」はそれぞれ金・銀・銭の貨幣鋳造を担当した役所で、組織の名がそのまま地名として定着した点は江戸の地名に共通する特徴のひとつとされます。

「金座」は現在の日本銀行本店の場所にあったとされる

銀座と対になる「金座」は、現在の日本銀行本店が建つ日本橋本石町一帯にあったとされています。金座の跡地に近代の中央銀行が置かれたのは単なる偶然ではなく、江戸時代からこの一帯が貨幣・金融の中心地であり続けたことの表れだと考えられています。金座では小判などの金貨が、銀座では丁銀・豆板銀などの銀貨が鋳造されていたとされ、江戸の貨幣制度を支える二つの拠点として機能していたようです。

銀座の鋳造所は1800年に蛎殻町へ移転したとされる

銀座の鋳造機能は1800年(寛政12年)に蛎殻町(現在の日本橋人形町付近)へ移転したとされています。移転後も「銀座」という地名だけはこの地にとどまり、鋳造所という実体を失ってもなお町名として使われ続けたようです。その後の江戸から明治にかけて、銀座は次第に商業地としての性格を強めていったと伝えられています。

明治の「銀座煉瓦街」が高級イメージを築いたとされる

1872年(明治5年)の大火で銀座一帯が焼失した後、明治政府は英国人技師トーマス・ウォートルスの設計とされる煉瓦造りの西洋風街並みを整備したとされています。ガス灯が灯り、洋品店やカフェが並ぶ「銀座煉瓦街」は当時の文明開化を象徴する景観として喧伝され、これ以降「銀座=おしゃれで先進的な街」というイメージが定着していったと考えられています。関東大震災や戦災による焼失を経ても、銀座はそのたびに最先端の商業地として復興してきたとされます。

百貨店と歩行者天国が育てた繁華街としての銀座

銀座通りには明治以降、和光の時計台や三越・松屋といった老舗百貨店が軒を連ね、日本を代表する高級商業地としての性格を強めてきたとされています。1970年(昭和45年)に始まったとされる週末の「歩行者天国」は、車道を歩行者に開放して自由に街を回遊できるようにした取り組みで、銀座の街歩き文化を象徴する光景として親しまれてきたようです。歌舞伎座をはじめとする劇場文化も銀座に古くから根づいており、商業と芸能・文化が共存する街として発展してきたと言われています。

全国に「〇〇銀座」が100以上あるとされる理由

「戸越銀座」「砂町銀座」「十条銀座」などをはじめ、全国には「銀座」を冠する商店街が100以上存在するとされています。これは東京・銀座の繁栄にあやかろうとした命名だとされ、大正から昭和にかけて各地の商店街に広まっていったようです。銀座という地名そのものがブランドとして機能し、貨幣鋳造所という起源からは離れた形で「賑わいの象徴」として全国に転用されていった点が興味深いところです。

「戸越銀座」が元祖のご当地銀座とされる

全国の「〇〇銀座」商店街のなかでも元祖とされるのが、東京都品川区の戸越銀座です。1923年の関東大震災後、銀座の煉瓦街が被災して出た瓦礫を譲り受け、ぬかるんでいた道路に敷き詰めて整備したことが命名の由来とされています。銀座の「おすそ分け」から生まれた地名だという逸話が、後に続く各地の「〇〇銀座」ブームの原点になったと伝えられています。

「銀ブラ」の語源は銀座をぶらぶら歩くことだとされる

「銀ブラ」は「銀座をブラブラ歩く」を略した言葉だとされ、大正時代にはすでに使われていた表現のようです。「銀座でブラジルコーヒーを飲むことに由来する」という俗説も広く語られていますが、こちらは後から付け加えられた説とみられており、言葉の成り立ちとしては単純な「銀座+ブラブラ」の組み合わせが有力だとされています。

海外にも「Ginza」を名乗る街や店があるとされる

銀座の知名度は海外にも及んでいるとされ、ロサンゼルスやバンコクなどに「Ginza」を冠した日本食レストランや商業施設が存在するといわれています。地名そのものが一種のブランドとして国際的に通用する例は多くなく、貨幣鋳造所の役所名に由来する地名がここまで広がったことは、地名の歴史としても稀有な事例だと言えるでしょう。

銀貨鋳造の役所が日本経済の象徴になった街

国土交通省の地価公示では、銀座は長年にわたり日本有数の地価を記録し続けているとされています。銀貨を鋳造する役所として始まったこの地は、明治の煉瓦街、戦後の百貨店文化、歩行者天国を経て、400年以上のあいだ形を変えながら日本の経済と文化の中心であり続けてきたと考えられます。銀貨を作る施設の名がそのまま地名として残り、今なお全国100以上の商店街がその名にあやかっていることを踏まえると、「銀座」という二文字には、貨幣の街から憧れの街へと変貌を遂げた日本の経済史そのものが刻まれているといえるでしょう。