「江の島」の語源は?島の形が「江」の字に似ているとされる地名の由来
辞書では島の形が「江」の字に似ていることが由来とされる
「江の島」の地名について、デジタル大辞泉は「島が江の字型に似ているため呼ばれた」、精選版日本国語大辞典や日本大百科全書は「島が『江』の字の形をしていることが地名のおこりとされる」と説明しています。なお、古い文献には「江島」「江乃島」「江之島」のほか、「絵島」「柄島」「画島」「榎島」「荏島」など、さまざまな表記が見られます。
「江」の意味と、古い文献に見える多様な表記
「江(え)」は古語で入江(いりえ)・水辺・水域を意味する言葉で、「江戸(えど)」の「え」も同じく入江を意味します。「江」という漢字は中国語でも大きな川・水域を指す字で、「長江(ちょうこう)」「珠江(じゅこう)」などの河川名に使われます。江の島の名を書き表す文字にはさまざまなものがあり、時代によって異なる漢字が当てられてきました。辞書では、島の形が「江」の字に似ていることが地名のおこりとされています。
弁財天(べんざいてん)の聖地としての歴史
江の島が古くから知られてきた最大の理由のひとつが、**弁財天(弁才天)**の信仰の地であることです。『吾妻鏡』によれば、1182年(寿永元年)に源頼朝の命により文覚が江の島の岩屋に弁財天を勧請しており、その後も代々の将軍や御家人が参拝したといわれ、鎌倉幕府との関係も深い聖地でした。江の島弁財天は「日本三弁財天」のひとつに数えられ(他に竹生島・厳島)、海上安全・芸能・財福の神として信仰を集めてきました。
「日本三景」ではなく「相模湾の絶景」として
江の島は日本三景(松島・天橋立・宮島)ではありませんが、江戸時代から「相模の名勝」として広く知られていました。葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「相州江の島」や、歌川広重の『相州江の島 弁才天開帳詣 本宮岩屋の図』など、多くの浮世絵に描かれました。現在も、江の島を含む藤沢市の年間観光客数は2024年に約2,040万人と過去最高を更新するなど、神奈川県を代表する観光地です。
江の島と「江ノ電(江ノ島電鉄)」
江の島を有名にしている交通手段のひとつが、**江ノ電(江ノ島電鉄)**です。1902年(明治35年)に藤沢〜片瀬(現・江ノ島)間で開業し、1910年に鎌倉まで全線が開業した路面電車で、鎌倉〜藤沢を結ぶ約10kmの路線は、現在も観光路線として多くの乗客を集めています。江ノ電が通る鎌倉高校前駅は海沿いを走る景観が美しく、国内外の観光客に人気のスポットです。「江ノ電」のように「ノ」を大文字にする表記は鉄道会社の固有の表記であり、地名としては「江の島(えのしま)」と平仮名の「の」を使います。
現在の江の島は陸繋島
江の島は、長さ約600mの砂嘴(さし)によって陸続きになった**陸繋島(りくけいとう)**です。かつては海に浮かぶ島でしたが、砂州(さんず)が堆積して陸地と連結し、現在は歩行者用の江の島弁天橋(全長389m)と車道の江の島大橋が架けられ、歩いて渡ることができます。干潮時には今も砂浜が現れ、潮の満ち引きによって風景が変わるのも江の島の特徴のひとつです。
江の島に伝わる「五頭龍(ごずりゅう)」の伝説
江の島には、島の成り立ちを語る『江島縁起』に基づく**五頭龍(ごずりゅう)**の伝説があります。鎌倉の深沢にあった湖に五つの頭を持つ龍が住み、山崩れや洪水を起こし、子どもをいけにえにするなど暴れ回っていました。欽明天皇13年(552年)に大地震とともに海から島が姿を現すと、そこへ天女(弁財天)が舞い降り、龍は一目ぼれして求婚しました。悪行をやめると誓った龍は天女と夫婦になり、のちに山に姿を変えて村を守ったと伝えられます。龍は鎌倉・腰越の龍口明神社に祀られ、江の島の神聖なイメージの形成に深く関わっています。
島の形から信仰の地へ
島の形が「江」の字に似ていたことに由来するとされる「江の島」は、弁財天信仰・景勝地・浮世絵の舞台・観光地という多重の歴史を積み重ねてきました。島の姿をもとにした名前が、時代を超えて人々の記憶と信仰に結びつき、固有の文化的意味を持つ地名として定着したのです。海に浮かぶ一つの島が、これほど多彩な物語を生み出してきたことに、地名の持つ力を感じさせます。