「有馬」の地名の由来は荒々しい地形?日本三古湯が育んだ金と銀の温泉
1. 語源は「あり(荒・在)」+「ま(間・場所)」
「有馬」の地名の語源として有力なのは、「あり(荒)」+「ま(間・場所)」という組み合わせです。「ま」は古語で場所・空間を示す語であり、「荒い地形の場所」「険しい地の間」という意味になります。六甲山系の急峻な山あいに湧き出る温泉地という地形がそのまま地名になったと考えられています。
2. 「在(あり)」の解釈もある
「あり」を「荒」ではなく「在(ある・存在する)」と解釈する説もあります。この場合は「温泉が在る場所」「湯の湧く間(ま)」という意味となり、温泉地としての特徴を地名が正直に言い表したことになります。どちらの説も有馬の地形と湯の存在を意識した命名であり、矛盾しません。
3. 日本三古湯のひとつ
有馬温泉は道後温泉(愛媛県)・白浜温泉(和歌山県)と並ぶ「日本三古湯」のひとつとされています。『日本書紀』には631年に舒明天皇が有馬温泉に行幸したと記されており、1400年近い歴史を持つ記録が残っています。また『枕草子』にも「湯は七栗の湯、有馬の湯」と列挙されており、平安時代にはすでに名湯として知られていました。
4. 金泉(きんせん)の由来
有馬温泉を代表する「金泉」は、鉄分と塩分を豊富に含む湯が空気に触れて酸化することで赤褐色になることから名付けられました。湯船の底や浴槽の縁に赤橙色の沈殿物が付着し、まるで金色に輝くように見えることが「金泉」という呼称の由来です。塩化物泉と含鉄泉の混合で、保温・保湿効果が高いとされます。
5. 銀泉(ぎんせん)の由来
金泉と対をなす「銀泉」は、無色透明の炭酸泉・ラジウム泉です。空気に触れても変色せず、澄んだ透明な湯が銀色に輝いて見えることから「銀泉」と呼ばれるようになりました。炭酸ガスを多く含むため、肌への刺激が少なく、入浴後に肌がなめらかになる効果があります。金と銀という対の名称は、江戸時代以降に広く定着したと考えられています。
6. 豊臣秀吉が愛した温泉
有馬温泉を特に愛したことで知られるのが豊臣秀吉です。秀吉は生涯に9回もの入湯記録が残されており、大坂城から有馬まで度々訪れました。秀吉は有馬の湯を「天下第一の名湯」と称し、宿坊や浴場の整備を支援したとされます。今も市内には「太閤の湯殿館」として秀吉時代の浴場跡が保存・展示されています。
7. 行基と僧仁西による整備
有馬温泉の開湯伝説によれば、奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が荒廃していた温泉地を再興したとされています。その後、鎌倉時代末期には僧・仁西(にんさい)が「有馬十八ヶ所坊」と呼ばれる宿坊を整備し、庶民も利用できる温泉街の礎を築きました。宗教者が中心となって温泉地を開発するという構造は、日本の温泉史に広くみられるパターンです。
8. 六甲山系がつくる特殊な湧出構造
有馬温泉の湯が金泉・銀泉という異なる泉質を同じ場所で持つのは、六甲山特有の地質構造によるものです。古代の海底堆積物を含む岩盤に雨水が浸透し、深部でマントルの熱によって加熱されて地表に湧き出します。この経路で海水成分(塩分・鉄分)を溶かし込んだものが金泉となり、別の経路で炭酸ガスを含んだものが銀泉となります。
9. 有馬籠(ありまかご)と温泉土産の文化
有馬では江戸時代から、竹細工の「有馬籠(ありまかご)」が土産物として知られてきました。細く割いた竹を精巧に編んだ籠細工は、湯治客が土産として全国に持ち帰ったことで「有馬の竹細工」として広まりました。「炭酸せんべい」とともに有馬を代表する名産品として、今日も受け継がれています。
10. 地名が示す「荒地の宝」という逆説
「有馬」の語源が「荒々しい地形の場所」であるとすれば、険しい山あいの荒地から金泉・銀泉という二つの宝が湧き出しているという構造は、地名と実態の見事な逆説といえます。荒れた地形であるがゆえに深部からの湯が湧きやすく、その恵みが1400年の温泉文化を育てました。地名はしばしば、その土地の本質を最も素直に伝えています。
「荒々しい地形の場所」を意味した「有馬」の地名は、険しい六甲山系の谷間で金泉・銀泉を育て、日本三古湯のひとつとして1400年の歴史を刻んできました。荒地から湧き出す二色の宝湯は、地名の記憶とともに今日も人々を温め続けています。